永井裕二プロフィール

永井裕二は194712月に大阪で生まれ、関西学院高等部に入学し、宝塚市外国人市民文化交流協会の世話役をなさっている今井恵さんと同級生になりました。

高校時代のエピソードとしては、数学の授業中に先生に質問ばかりをして授業が遅れたとのお叱りを受けたので、同級生に期末試験対策を2時間ばかりしたところ、他のクラスより平均10点以上の成績になったことでしょう。

高卒後、今は関西学院大学理工学部ですが、当時の理学部に入学し、本質的な物の成り立ちを探究していました。電気関係はまったく独学ですが生涯の糧になっています。

最初の電気との取り組みは、理論体系として6600ボルト系統の勉強をして、続いてトランジスタなどの弱電を使った制御体系を実践しながら、理論としては高電圧17万ボルトを生みだす変圧器・発電機・保守管理を行える電気主任技術者の資格を取得しました。

さて、実践と言えば、初めてパソコンを手に入れた時、パソコンは単独で制御するのではなくパソコン同士を接続して制御情報ネットワークを構築しなければと思い、研究を始めました。このような制御情報ネットワークは今では生産ラインに必要不可欠です。当時の生産ラインに「見える化されたネットワーク」を組み込むのに東証一部上場の自動車部品メーカー三桜工業()の技術顧問になって、単なるカウンター機械のように見えるパソコンネットワークを作り上げました。これは作業員のパソコン拒否アレルギーを取り除くために考慮したものです。

 制御情報ネットワークがすべての工場で実用化されましたので、技術顧問の座を退き、ネットワークの研究に没頭し数件の特許を取得しました。これから何をすべきかな〜と、思っていた時に、関西学院理学部大学院の第1回卒業生竹内修氏が宝塚市亀井町で電子機器製造業を営んでいる()ニッシンの社長をしておりまして、契約社員になったのです。

 ()ニッシンでは、私の発明した特許に基づいたネットワーク構築を国に提案したところ、研究委託金として2年間で4700万円を頂きました。

 60歳に達しましたので、()ニッシンとの契約社員契約を打ち切り、むかし取った杵柄を生かして、♪関西電気保安協会♪ではなく、日本電気保安協会で保安技師として高電圧の保守管理を現在しています。